本日アップデート。
しかし、本日セビの街とアパルトメントにしかいなかったので何がどう変わったのかわからず。

今まで1クォーターごとにChapterを進めてきたが今回はChap4ではなくアップデートのようですね。

しかし、プレステ・ジョアンというネーミングは東アジアへの布石のような名前ですね。

大航海時代始める前からプレステ・ジョアンの手紙には興味がありました。
誰が何のために流布したものかはともかく、史実の大航海時代を促進した一要素だったと思います。

この間のチューリップバブルとプレステ・ジョアンの手紙、
史実において両方とも共通してるのは「幻想」と「情報の非対称性」が生み出したものだと思います。

はてさて、話は飛びますが、「情報の非対称性」はメディアに乏しい中世だから起きるのでしょうか。

先日の松岡大臣の自殺(同じ日に、ZARDの坂井泉水さんがお亡くなりになったため、「こんな良く分からない大臣どうでも良い」という方もいるようですが)に関して。

ベンジャミン・フルフォードのヤクザ・リセッション
(http://www.kobunsha.com/book/HTML/ppb_93323_8.html)
に書かれていた「この国は不思議と真相を知るものが都合よく自殺する」というくだり(正確な表現は覚えていません)を思い出す。

最近じゃ、真相に近い者は、何故かワイドショーが好きそうな下衆な容疑をかけられるというのもありますね。
ミラーマンとか、ムネオさんとか。
ホリエもんと日興コーディアルの扱いの違いが分からんとですよ。

あ、勿論一冊の本で影響されるわけじゃないし、こんなこと昔から言われてることです。
私は別に何か事件が起きるたびに、何か背後に陰謀があるとかそういう陰謀史観の持ち主じゃありません。
フリーメーソンが襲ってくるとか言い出さないのでご安心を。

ただね、この事件、早くも風化しそうな気がしますが、
本当にこれで良いのかねと思うのですよ。
人間ってそんな簡単に全てを墓場に持ち込むために自殺します?という疑問と、意識的にこれで風化させようとしてる人いません?死者に触れるのをタブーにしようとしてません?
ということ。

あと、フルフォードは恐らくネチズンな方の間では知られてるのかも知れませんが、いささか電波な匂いがしたり、
フルフォード読んでると人に言うのが恥ずかしいという方は、

少し前なら、カレル・ヴァン・ウォルフレンの『人間を幸福にしない日本というシステム』
(http://item.rakuten.co.jp/book/1194053/)

最近の本ですと、魚住昭の『官僚とメディア』
(http://www.amazon.co.jp/dp/4047100897/)
とか、情報に対して疑問を呈する本なんて腐るほどありますが、要は、情報不足が生む、異なる方向に誘導される空気、とかそういうことは、大航海時代から今まで常にあるのですね、とかそういうことを書く駄文。
かといって、それに対するカウンターメディアがネットかというと、それも「文書への責任」という点で疑問ではあるが。

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